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カテゴリ:社会
  • レガシーの利点
    [ 2010-02-10 00:24 ]
  • バチがあたる
    [ 2010-02-02 23:15 ]
  • 失敗の現実
    [ 2010-01-31 14:51 ]
  • Itmedia “新ニッポン人”に告ぐ――「仕事だけ」ではダメな理由 について
    [ 2010-01-21 20:37 ]
  • 景気の主観
    [ 2010-01-06 23:43 ]
  • 効率主義とモダン家具の関係
    [ 2009-12-19 12:39 ]
  • 協力
    [ 2009-12-10 00:12 ]
  • 行政刷新会議事業仕分け対象事業について意見提出
    [ 2009-11-28 01:09 ]
  • 寄付金の懐疑
    [ 2009-11-26 20:18 ]
  • "日本を変える若い人材登用について"の違和感
    [ 2009-11-25 23:20 ]
レガシーの利点
 レガシーとは、その意味の通り古くさいもの、使い勝手の悪いという印象が強いと思いますが、様々な利点が存在することを、再度認識する必要があると思っています。

 レガシーというと、一般的に思い浮かぶのがパソコンなどのインターフェースで、RS-232Cやパラレルポートなど、十数年ほど前では比較的まだ使われていたデバイスですが、今ではほとんど一般的に使用される機会はありません。今はUSBなど電源ON時でも抜き差し自由で、繋ぐとすぐ使用可能となるようなデバイスは、確かに便利です。しかしその利便性においては、前提となるOSや条件が必ずあり、どのような環境においても使用可能であるという状態ではないのが事情です。

 たとえば、PCでいうと、一般的な周辺機器ではほとんどWindowsかMacOSが前提であると思います。またその機器用のドライバなども必要かもしれません。しかしレガシーデバイスであれば、WindowsかMacOSは元より、UNIXでもLinuxでも標準で使用可能になり、特別な前提が存在しません。もちろん個々のデバイス機器を制御するのであれば、それ専用のアプリが必要となりますが、パラレルプリンタやRS-232C経由のターミナルなどは、どのような環境でも使用可能です。

 業務用ではよくRS-232Cなどの通信手段が残されていますが、これにはIPのような高度な通信手段が使用不可能となった時に、全くその機器にアクセスできなくなることがないように用意されていたりします。大きなトラブルなどがあった場合、さまざまなアクセス手段が使用不可能になることもありますが、このレガシーデバイスであればアクセス可能であることも、よくあるのです。

 レガシーでできることは、確かに不便でおもしろくないものでありまが、シンプルかつ使い古されたものであるため、制御も使用するのも、前提が少なく比較的容易となります。

 通信分野でも、今や携帯電話が非常に便利であります。今は音声や文字以外にも、画像や動画も容易に扱えます。しかしこのサービス、環境を支えているものも、大規模な施設やデータセンターが不可欠であり、この設備がひとたび使用不可能となると、この携帯電話の機能性は一気に低下します。とあるキャリアにおいては、数時間のサービス停止が起きたりしています。そのキャリアの利用者は、多大な影響があったことと思います。複雑かつ大規模な設備が前提となる存在は、その前提かひとたび崩れると、それに比例し影響が大きくなるものです。

 たとえば大きな地震など災害が起きると、電波塔や設備が崩壊することが容易に予想されます。もちろんこの設備が使用不可能であれば、携帯電話も使用不可能となるでしょう。そのような状態になった時に、どのような環境を用意しておくべきか、この一つの解として、昔ながらのアマチュア無線などが有効であると思います。

 このアマチュア無線などは、電源さえあれば使用可能です。ハンディータイプであれば、バッテリーの充電さえされていれば、ほとんど前提が必要なく使用可能です。軍でも未だにモールス信号が使用されていることを考えると、この前提が必要がないという強みを十分に認識していることなのです。恐れるは、何もできなくなることです。

 レガシーは、確かに消えつつあります。一般家庭においては、すでに近くには存在しないかもしれません。しかしこの利点を十分に認識し、レガシーを使える術を身につけておけば、万が一の状態においても思考停止することは少なくなります。繰り返しますが、恐れるのは、何もできなくなる状態です。

 レガシーを侮る事なかれ、高度な技術があふれるこの世だからこそ、レガシーを学ぶ必要があると思われるのです。
by hiro-know | 2010-02-10 00:24 | 社会
バチがあたる
 「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」を見ていたら、浜田幸一さんが出演されていた。そのなかで、若い者が年寄りにそう突っかかるとバチが当たるという発言をされていて、非常に印象が残った次第です。

 この世の中は、年寄りに突っかかるとバチが当たるというのです。おそらく正しい指摘であってもそうなのでしょう。齢80歳を超えた人であり、政治という極めて複雑で直接的な利害関係が発しやすい環境に携わってきた方ならではの嗅覚が備わっているように感じました。

 会社などでも、正論で上司に突っかかることがある人は嫌がられたり孤立化したりするもので、政治でもこのような態度を示すと、その例外ではないということなのでしょう。

 若い人の正しい発言は非であり、年寄りの正しい発言は是なのか。これは宝石店で売られているダイヤは本物であり、ゴミ箱にあるダイヤはダイヤでないのと同じ意味のように思われてなりません。例えゴミ箱で見つけたダイヤであっても、それはダイヤであるから、ゴミ箱から見つけたからといって捨ててはもったいないです。そしてその行為にこそバチが当たるというものです。
by hiro-know | 2010-02-02 23:15 | 社会
失敗の現実
 私も何度か、比較的大きな失敗をして会社を去る人を数度見たことがあります。そしてそのスケープゴートにされる対象はいつも一般社員であり、本来ならばそのプロセスに問題がある部分や、プロセスを策定した上層部の人間が責任を負うべきところは看過されていない現状が散見されます。

 記者会見するような社会的な問題や自己であれば、トップが辞任などするので、全てがこの限りではないと思いますが、それら以外の問題の責任は、上記のような状態になっていることも多いのではないのでしょうか。

 これらのことを自分なりに考えてみたのですが、この許すという行為はコストがかかるものであると思います。これは教育と似ているような気がしますが、失敗を許し、インシデントを分析し、改善するという一連の流れを実施するのはも人間ですから、非常に時間とコストがかかります。ましてやこのご時世にそのようなことを実施する余裕もないのが実情です。また、失敗する人材が会社にいると言うことは、会社の収益にも響く可能性があり、他の人の生活まで脅かす存在ともなりえます。これが人々の一番の恐れであり、そのような人材が村八分のような扱いにされる根源であります。

 とある外資では、そのようなことは既知であるため、はじめから優秀な人材のみを集め、教育なんぞ一切しないという会社もあるくらいです。世の中がそのような状況であるが故、失敗する人は自然と淘汰され、失敗を比較的しない人が会社に残っているように見えます。

 人間が進歩するにはこの失敗と向き合うことは必須です。しかし今はその余裕がないようです。もう少し人が失敗と向き合えるような余裕ができれば、この問題の解決に近づくことができると思います。
by hiro-know | 2010-01-31 14:51 | 社会
Itmedia “新ニッポン人”に告ぐ――「仕事だけ」ではダメな理由 について
このような評論は、果たしてどのような理論で発言されているのか分かりません。
統計局のHPには、「世帯属性別にみた貯蓄・負債の状況」という統計があります。

http://www.stat.go.jp/data/sav/2008np/gaikyou.htm

この統計データを確認すると、年寄りほど金を持っています。どこまで若い人たちを貧困に貶める気でしょうか。

私が理論展開するのであれば、"新ニッポン人"にではなく、"旧ニッポン人"に告ぐ・・としますが。
by hiro-know | 2010-01-21 20:37 | 社会
景気の主観
 いつの時代も、人が口にするのは「景気が悪い」である。数年前の、今で見ればまったくそうではないのに、人々は景気が悪いと言っていた。結局のところ景気という物は、景気の絶対的な判断基準が分からない以上、個々の主観的な意見でしか無いわけで、いつの時も人々の景気の感じ方は悪いのである。大企業の経営状況で判断しているからかもしれないが、一般的な数値での景気判断は良いという結果でも、人々の感じ方とはまったく相対的ではないのがおもしろいところである。
by hiro-know | 2010-01-06 23:43 | 社会
効率主義とモダン家具の関係
 企業は最近、二言目にはコスト削減を歌っています。本当の無駄を省くために、作業を見直したり効率を求めること自体は良いことだと思います。確かに目的を果たすだけであれば、行動や物は洗練されていきます。しかしその洗練されていった様という形状が、いかんせん無味乾燥な存在になっているようにも感じているのです。

 たとえば、現在のデザインの主流であるという意味の『モダン』という存在がそれをよく象徴していると感じます。たとえば家具などがわかりやすいですが、一般的にモダン家具という検索でヒットするものは以下のような物であると考えます。

 たしかに洗練されていて、いかにも現代的なデザインという感じですが、全体を見ると統一感があって良いのですが、一つ一つで見るとあまりおもしろいところはないように感じます。それにこれらをみていると、生産的なコストカットをするために、あえてシンプルなデザインとしているか、もしくは生産過程の制約が、今のモダンと言われるデザインの本質的な根源なのかとも考えてしまいます。

 しかしクラシック家具をみると、一つ一つでも観察しがいがある存在です。たとえば机や椅子の脚なども時代によって様式があったりします。それにこの時代は生産はほとんどが職人による手作りなので、それぞれに個性があります。

 単純に使うという目的だけを考えると、どれでも一緒です。ただし、現代のような効率だけを追い求めすぎると、無味乾燥でどれも同じような形態となります。人が手を動かすと、どうしてもコストがかかり、今の時代ではこの形態を採用するのは難しい状況なのかもしれません。実際モダンな家具よりも、クラシック家具の方が価格が高い場合が多いように感じます。しかしこのような制約が無くなった状態の行き着くところが、Château de Versaillesのような芸術にまで昇華されるのではないかと思うのです。

 現代の効率やコストを意識したデザインが、未来の美術においてどのような評価になるのか、コストの関係は避けて通れないと思われるので、今後もモダンデザインは続くのか、非常に興味がある事柄です。
by hiro-know | 2009-12-19 12:39 | 社会
協力
 困ったときには協力して助け合う。結構なことだと思う。確かに個人レベルでは解決できないことであっても、多数で挑めば解決することができる。むしろ今の世の中、社会においては、ほとんどが多人数の力を併せて大きなことを遂行するものだと思う。なぜ会社という団体でそれらを挑む必要があるのかということは、答えは簡単である。ひとりではその仕事をなすことができないからである。

 基本的に人間は、目の前の問題か、自分の利益が垣間見えてから初めて、それを解決、得るためにはどうすればよいかを悩む。ほんとの目の前にこれらが見えてから悩む人もいれば、先験的な目を持つ人もいるが、その程度がどうであっても、人間はほとんどの場合が、これらの事象が垣間見えてから、協力関係を結ぶということである。これらは逆に考えれば、個人で行うことができる事柄であれば、協力などはしない。

 個人で遂行できなければ、隣人同士が協力し、隣人同士で遂行できなければ、街全体で取り組む。街で遂行できなければ地域で取り組み、地域単位でも遂行できなければ、国が取り組む。歴史の中で徐々に協力関係の規模が大きくなり、それに比例して、文化や技術も大きく推進し、そして人間の世界を見る視野というものも、これに比例しているように思われる。

 今までは利益が伴っての協力関係まではあったと思う。国を跨いでその国々の特性を利用した企業経営などは今では当たり前であり、それらは各国双方共に利益があったからこそ協力することができた。しかし、ネガティブな事柄の、国を跨いでの関係の協力関係というものは、これまでほとんどフューチャーされることがなかったか、扱う問題がそれほど大きくなかったと思う。しかし今では地球温暖化など、地球規模の問題が発生し、まさに地球規模での協力、それもネガティブな事柄での協力が必要になってきた。このような規模と要素の協力関係というものは、今まで人類の歴史上無かったのではないかと思う。

 ネガティブな要因は当然不利益な場合が多い。だから各国の間でいろいろな問題が発生しているが、これを解決し各国が協力しあう時がきたときは、人類全体の新たな一歩が始まるときである。もしくは、地球規模の協力関係というものを行うことができるのは、もっと時が経過した後の、今の問題よりももっと深刻な問題に直面したときかもしれない。

 人類がいつの時代に、新たな地球規模という協力関係を遂行できるようになるのか見物である。
by hiro-know | 2009-12-10 00:12 | 社会
行政刷新会議事業仕分け対象事業について意見提出
 すべての研究対象というものは、今までにないものを追求、研究するものでありますから、難儀なものであります。研究とは一般的に様々な実験を繰り返し、試行錯誤の末、求めていたものが発見され、得られるものです。当然今まで通ってきた道を何度も行き来することもあるでしょう。そして時には振り出しに戻って最初から新たな道を探す必要もあるでしょう。このような要素を考えると、当然それまでにかかる時間やコストは誰にも算出などできるはずがないのです。

 このような不確定要素があるからこそ、その研究の結果から得られる利益と、時間とコストを鑑みることは単純に考えることができないのです。

 このような性質の事業は、特に今のような経済状況であれば、なかなか民間では踏み込むことはできないでしょう。これは他国の民間企業も同じであり、差を広げるチャンスでもあります。今のような情勢であればこそ国が取り組む必要があるのです。

 また、スパコンに限らずすべての研究事業にも共通することなのですが、研究というものは、その研究する目的が果たせられることが全てでは無いものと考えられます。

 研究の途中段階では、様々なデータや結果が得られます。そしてそのデータや結果というものは、どのようにしてそのデータが得られたかというプロセスも付随し、一緒に蓄積されていくものです。これはいわゆる一種のナレッジであり、本当の目的ではないのですが、これらが新たな技術開発を行うに当たって有用であることも多々あるものです。

 研究の副産物で得られたものから商品化。という話はごくありふれたものであります。研究をせず、出来合いの物を購入するという考えも、目的のみを果たすのであれば効率的かもしれませんが、研究し構造し、完成させるというプロセスを踏む場合は、目的を果たすのと、確率論ではありますが、もしかしたら副産物から重要な発見なども得られる可能性があるのです。前者はこの副産物での恩恵は、全くのゼロなのです。

 副産物がもたらした利益という物は、ある程度具体例、経済効果など数値を算出することができるのではないのでしょうか。これができればある程度強い主張をすることが可能となりそうです。

 目的の研究と成果を出すことのみに捕らわれていると、上記のようなファクターの利益を見落とす可能性もあり、結果思わぬ不利益を被ることになりかねません。今一度、一考が必要であると私は考えます。
by hiro-know | 2009-11-28 01:09 | 社会
寄付金の懐疑
 世の中いろいろな慈善活動があるかと思いますが、寄付という行為、特に金銭などの寄付ということに関しては懐疑的になってしかたがありません。

 慈善活動の中でも、自分が行動を起こす部類のもの、たとえば植林をしたり、街の清掃活動をしたりということなのですが、これは明らかに自分のやったことが、当たり前ですがそのまま目の前で見え、その場で自分が認識できるので、行動の最終的なアウトプットが確認できます。しかし金銭の寄付、という中間の機関などを介した場合は、その寄付した金銭の使われ方というものがなかなか確認できないのです。

 よくテレビなどで寄付を募ったりしていますが、最終的に確認できるのは、『合計このくらい集まりました~これは何とかの慈善団体を通じて寄付されます』という内容以上の情報は与えられません。まあ慈善団体も人間が動く以上、必要経費などはあると思いますが、それらはどのくらいの金額なのか、採取的にどのような具体的な内容で使用したのかが非常に気になってなりません。どっかの慈善団体のHPをみても、寄付したら税金が控除されますが大々的に広告され、肝心の使用明細がどこ行っても見あたらないのです。まあ自分の検索がヘタで見つけられなかっただけかもしれませんが。

 これら疑問は私自身が病気的に疑い深いだけなのかもしれません・・どこかにクリアな情報は公開されている物なのでしょうか。
by hiro-know | 2009-11-26 20:18 | 社会
"日本を変える若い人材登用について"の違和感
 2009年9月8日(新聞読み溜めしてました)、表記のようなタイトルで、若い人材に日本の未来への希望を託したい想いが感じられる記事が掲載された。

 幕末に起きた明治維新が起きた時代、大久保利通など代表的な当事者は30代の若い人材が多かったのは事実である。しかし明治維新は今の時代ではテロ行為にあたり、それほどまでの行為でなければ変えることができなかったということは、やはりそのときの時代も保守派や既得権利を維持する勢力が大きかったものと思われる。

 いつの時代もその勢力は存在する。私のような世代はいわゆるロストジェネレーションと呼ばれ、派遣など労働条件の緩和の波をまともに受けた世代である。それらは企業の利益を維持するために、主にコスト削減を目的に大いに活用された。それらは当時の社員を守るためには必要な判断であったのかもしれない。しかしそのしわ寄せは必ずどこかに現れるものである。

 いつの時代も、"若い人材"というのは、そのような保守的で、既得権利を守る先人の犠牲となっているのである。そのような時代の犠牲者に"日本を変える"という大儀を押しつけるのは、あまりにも過酷な期待であるのと同時に、今を生きる先人たちの怠惰なのである。
by hiro-know | 2009-11-25 23:20 | 社会


日々の徒然

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