私も何度か、比較的大きな失敗をして会社を去る人を数度見たことがあります。そしてそのスケープゴートにされる対象はいつも一般社員であり、本来ならばそのプロセスに問題がある部分や、プロセスを策定した上層部の人間が責任を負うべきところは看過されていない現状が散見されます。
記者会見するような社会的な問題や自己であれば、トップが辞任などするので、全てがこの限りではないと思いますが、それら以外の問題の責任は、上記のような状態になっていることも多いのではないのでしょうか。
これらのことを自分なりに考えてみたのですが、この許すという行為はコストがかかるものであると思います。これは教育と似ているような気がしますが、失敗を許し、インシデントを分析し、改善するという一連の流れを実施するのはも人間ですから、非常に時間とコストがかかります。ましてやこのご時世にそのようなことを実施する余裕もないのが実情です。また、失敗する人材が会社にいると言うことは、会社の収益にも響く可能性があり、他の人の生活まで脅かす存在ともなりえます。これが人々の一番の恐れであり、そのような人材が村八分のような扱いにされる根源であります。
とある外資では、そのようなことは既知であるため、はじめから優秀な人材のみを集め、教育なんぞ一切しないという会社もあるくらいです。世の中がそのような状況であるが故、失敗する人は自然と淘汰され、失敗を比較的しない人が会社に残っているように見えます。
人間が進歩するにはこの失敗と向き合うことは必須です。しかし今はその余裕がないようです。もう少し人が失敗と向き合えるような余裕ができれば、この問題の解決に近づくことができると思います。